流れの中で顔を見たくなるときがある。
恥ずかしいと自然と目を伏せるし、瞼を閉じて視界を自ら遮ろうとする。
見られたくなくて、自分を見詰める視線を意識外にするためのせめてもの抗いとして。
だって、実際は逃げることも身をよじることも困難なくらいに拘束されているのだから。
もちろん、それは不快でなくてむしろ逆。
唇を合わせるとき、躯を重ねるときもそう。
下から見上げるとき、大抵は目を閉じている。
与える側として、男として触れるときは表情の一瞬間の変化も逃さぬよう目を開けている時間が長くなる。
目と目が合う。
少しはにかむ。
また瞳を閉じる。
そんな当たり前な一連の流れでも至福の悦びを感じてしまう。
見上げる表情も、見下ろすときの顔も同じくらい妖艶で淫靡で美しいと思う。
だから恥ずかしいけど無性に顔を見たくなるのだ。
そして、私はまた目を伏せる…