縄の拘束感もいいけど、拘束具による拘束感もいい。
縄は『和』のテイストで、拘束具はさしずめ『洋』といったところか。
ビジュアル的に受ける印象は違うけれど、根底にあるものは同じだと直感できる。
包まれ抱きしめられる感覚。
ずっと、身を委ねていたい。
誰かが言った言葉を思い出す。
拘束は包容と同義だと。
これに異論を唱える人は少ないだろう。
先日東京で目から鱗的な言葉を聞いてきた。
鞭打ちもまた手で触れる感覚の延長線上にあるものなのだという。
目の前に愛しい者がいれば、人はその手を伸ばさずにはいられないだろう。自身の手で触れ、撫で、擦り、その存在を体で感じていたい。
触られる方も相手の手の感触を心地好いと思うだろう。
鞭とはそういうものだという。
このことに気づかされた時、私の鞭に対するイメージが急転したのは間違いない。
鞭を受けたいという人の気持ちが漠然と分かった気がした。
私もまた鞭を受けてみるのも悪くないと思いはじめていた。。。